Philosophy

仮想の世界の物語を書いて、フェスとして1日だけその世界を創ること。これを続ける意味は、たくさんの居場所をつくりたいから。それは誰かの、そして自分の。全ての人にとって居心地のいい世界の答えなんてこの世にはなくて、どれだけ正しい面した正義の理論だって、ただ力が強いというだけ。心地よい世界観は人それぞれの中で育んでいくものだけど、心からの自由や喜びを誰かともし共有できたなら、人生意外と悪くないなって生きていけるんじゃないかと思う。で、その可能性がフェスティバルカルチャーという文化にはあると思っている。

フェスティバルカルチャーは助け合い、互いに高め合うこと、相手の喜びを祝福すること、まずは自分がご機嫌であること、目に見えないものを大切にすること、人間も動物もみんなが平和で幸福であることを祈ること、 etc.. 60年代から脈々と続いてきた偉大な文化。自分自身、周りの目を気にしながら、違和感を持ちながら生き抜いていた学生時代があったけど、フェスは自由を保障してくれた。そして音楽はいつでも変わらず近くにいてくれた。フェスも色々な形があるけれど、自分のつくるフェスは何よりこの文化を大切にする。

なぜ居場所をつくりたいか、そりゃ孤独は辛いからだけど、それとは別に、生き残るための群れは同族をも食ってしまうから。自分がその群れにいるために、排他的になり、画一的になり、均一的になり、受動的になっていく、そりゃまぁそれも人類の側面ではあるけれど、人間一匹、それ以上に多面体なのが自然だ。孤独を恐れて、誰も先導していないパレードに並び、列から外れたやつが寄ってたかって滅多刺しにされてしまうのを見て「自分には関係ない、仕方ない」と思ってしまうことが恐ろしい。想像力という最も大切な力を失っていってしまうのが恐ろしい。

想像力が消えた人類は、きっとあっという間に絶滅してしまう。

だからできれば複数の居場所を持てるようにして、余裕をつくって、1人1人が自分の頭で1つ1つ考えて選べるようにしたい。たった1日だけではあるけれど今はまだ居場所がない人たちにとって、そして自分にとって希望になり得るような世界をつくって、そこに集う人たちと繋がり、自由や喜びを共有する時間を過ごしたい。人生は生きるに値するのか?誰も答え合せができない問いにYES.をでっち上げるのがエンターテイメントの強度で、あなたにとっての楽園のつくりかたを教えてくれるのがフェスティバル。イマジネーションの中に、きっと希望はある。